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2012-05-07 21:43 | カテゴリ:日々のこと(トルコ)
葬儀というのは、もちろん故人を送るためにあるのですが、同時に残された人が悲しみに飲み込まれないためにあるのだと思います。
そのくらい、大変でした。

父は日蓮宗僧侶でもあったので、
父の死後はすぐお寺に連絡しました。
そこから、お寺さんと葬儀屋さんとの打ち合わせが始まります。
父は、自分がこんなに早く死ぬなんて、きっと夢にも思っていなかったのでしょう。
遺言とかはもちろん残っていなかったし、「俺が死んだ後はこのようにしてくれ」という、希望も、一切家族に伝えてはいなかったので、何もかもがわかりませんでした。
私が自宅に帰ったときには、すでに葬儀屋さんと何回目かの話し合いを終えた後で、弟と妹が全部やっていてくれました。父の携帯からアドレス帳に登録されていた方々全員に訃報をメールし、知りうる限りの知人に連絡をしてくれていました。
GWの最中で、みなさん予定もあるだろうから、お通夜や葬儀に来てくださるかたも少ないかもしれないと思っていましたが
父が生前お世話になっていた画商さんや多くのお弟子さんがたが、父の死後直後から通夜・告別式が終わるまで、ずっと手伝ってくださりました。
また、御坊様が毎晩お経を唱えにわざわざ我が家まで足をお運びくださりました。

父の訃報や、通夜と告別式の日程は全国版の新聞にも掲載されたので、新聞を見て驚き、旅行先からUターンして駆けつけてくださったかたもいらっしゃいました。

本当に本当にありがたいです。

私にも
友人から沢山のメールが届きました。
お通夜と告別式にも何人もの友人や恩師がきてくださいました。
新聞を見たからと、小学校の卒業以来ほとんど音信がなかった友人までも来てくださいました。
ありがとうございます。みんなに励まされました。
御一人御一人にお礼を言いたいのですが、まだ気力がなくて、メールなどが打てないのです。申し訳ありません。でも、本当に、嬉しかった。
こんなにすばらしい友人たちと出会えたのは、私をこの世に産み育ててくれた父のおかげだと思うと、父への感謝と共に、失ったものの大きさを思い知りました。

お通夜と葬儀では、弟がとても頑張ってくれました。
私の中では昔のままの「末っ子の頼りない弟」だったのに、葬儀屋さんとの打ち合わせから当日の仕切りまで、弟がやってくました。妹も事務的なことをやってくれたので、
今回私は「おさんどん役」に徹しました。
皆が忙しくしていたし、来客も多かったので、手が空いた時に手軽に食べられるように
カレーや、おにぎりや、トン汁や、卵焼きなどを毎日せっせと作っていました。
こうやって働いているときは、気持ちも落ち着くのですが、
ポークカレーを作りながら
「パパはカレーは絶対ビーフ派だったから、家でポークカレーなんて作ってたら怒られちゃうな」とか
「パパ、トン汁好きだったな」
って思い出すともうダメで、気が遠くなるくらいの寂しさが込み上げてきて、また泣いてしまうのです。
食べることが大好きだった父。でも、最近は薬の副作用で吐き気がひどく、ほとんど何も食べられない上に透析のせいで食事制限も多く、美味しいものが何も食べられない状態でした。
父の最期の夜となってしまった日の夕飯は、父の大好物だったオニオンスープのロールキャベツを母が作ってあげたそうです。玉ねぎを何時間も炒めて。「最近ほとんど何も食べてないでしょ?今日は食事制限とか何も気にしないでとにかく美味しく作ったから食べてね」と母は言うと、父はそのロールキャベツを1個美味しそうに食べたそうです。

お通夜と告別式が終わるまで、そんなふうに、日常と非日常が交差したような、異様な日々でした。
たまに冗談を言って笑ったりもするし、葬儀屋さんとも事務的な感じで打ち合わせをこなすんだけど
気付くと、どこかで誰かが泣いている。
空気に霧がかかったように、世界が常にぼやけている。
すごく疲れているのに、眠れなくて、氷のような悲しみが心臓を突き刺す。

子供たちは、まだ「死」というものがあまりよくわかっていないみたいで
棺で寝ているジイジを、不思議そうに眺めていました。
私がこんなにボロボロ泣いている姿をはじめて見た香慧は、そのことにショックを受けたみたいで、慌てて駆け出していき、トイレからトイレットペーパーの切れ端を持ってきて、涙をふいてくれました。そんな子供たちを「可愛いな~」って思いつつ、もう、孫の成長を見せてあげられないことがまた悲しくて・・・。
父は、香凛と香慧の成長をとてもとても楽しみにしていたから。
香凛が「将来はジィジみたいな画家さんになりたい」って言った時も
「画家は印税がないから漫画家のほうがいいよ~」なんて冗談をいいながらも、
「もし香凛が本当に画家になるんなら、ジィジが本気で絵を教えてあげるな。で、ジィジの人脈を全部使って絶対画家にしてあげるからね」なんてジジ馬鹿発言をしていました。
結局、2月に一時帰国した際に、一度だけ香凛に絵を教えてくれた、あれが最後のレッスンになってしまいました。
30日の夜、父のホームページを見ました。
すると、25日に父の「ひとこと」欄が知らない間に更新されていました。
そこには、こんな一節が書かれていました。

「腰の痛みと吐き気は少しずつとれてきました。この調子で良くなれば夏にはイスタンプールから帰省する長女と孫たちと遊ぶことが出来そうです。長女には離れている分心配をかけてしまいましたので元気な姿を見せたいと思っています。」

これを読んだときが一番辛かったです。

今はまだよくわからないかもしれないけど、香凛と香慧にはジジを覚えていて欲しい。
こんなに素晴らしい祖父がいたということを忘れないでいて欲しい。
自分の中に、ジィジの血が流れているということを誇りに思ってほしい。

出棺の日まで、
私は、父の棺の横で寝ていました。
寂しがりやの父だったから、客間で一人で寝るのは嫌だろうなって思ったから。
もしかしたら、父が夢枕に立ってくれるかもと期待したけれど、出てきてはくれませんでした。
こんなにずっと父のことを考えているのに、夢にも出てきてはくれなかった。
今、父の魂はどこに居るんだろう?
会いたいです。
ただずっと、「父に会いたい」。そればかり思ってます。今も。

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