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2012-05-25 06:16 | カテゴリ:日々のこと(トルコ)
父が死んでから、
なんだか、私は空っぽで、
身体が空瓶になってしまったかのよう。
その空っぽの身体に
毎日 ポタポタと
悲しみの涙がたまっていき
溢れてしまい
夜になると、身体の中にいっぱいに詰まった悲しみを、吐き出す毎日。
3日間、行事が続き、涙の栓をギュッてしめていたら
昨夜、蛇口が壊れてしまったように涙が止まらなくなってしまった。
涙をこらえようとすると、今度は胸がキューッと痛み、息が苦しくなるの。
今日は、子供たちが学校から戻るまで、家で身体にたまった悲しみを絞り出すかのように
ひらすら泣きました。

父が死んでしまってから
いつも思う。
死んだら魂はどこに行くのか。
父は、今何を想っているのか。

ネットで
「死後の世界」とか「輪廻」とか「臨死体験」とかをひたすら検索する日々。
もちろん、どんなに調べたって、答えなんてあるわけもなく
最後は虚しく、悲しくなって涙を流すだけってわかっているのに…
知りたいの。
何か「答え」が欲しいの。
どうしよう、私。
今なら悪徳霊媒師なんかの言うこととかも聞いてしまうかも…って時々自分が不安になる。
そんな中
今日、昔読んだ本を読み返しました

よしもとばなな「まぼろしハワイ」。

昔読んだ時は、それほどには心に響かなかったけど、
今日読んだら、あまりにも今の自分の気持ちに当てはまり
(ああ、私が感じている寂しさはこれだ)って思いました。
うまく言えないけど、小さな小さな答えを見出すことが出来ました。

両親を亡くしたオハナという女性が、義理の母とハワイへ行くストーリー。

オハナのセリフ
「パパのいない世界なのね、ここは。たとえいつもの、大好きなハワイでも。いつも何かが足りないの。だれかに会いたいの。でもそれはたぶんいつもパパなのね。そして地上ではもう会えないのね」

これを読んで、また涙が止まらなくなりました。

そしてもう一つ、私の心を動かした文章、
「《天国から見ている》とか《きっとママはパパと一緒にいて、たまにこういう素敵な場面を見ているんだ》とかではだめなのだ。歳を重ねてしわが増えたママに、生きている眼球で眼筋をつかって、その心臓をどくどく動かしながら見て欲しかったなあ、ということだ。うわ、きれいと言って手を伸ばしたら、となりにやっぱりその美しさに心臓をどきどきさせている肉体があって触ることができる、そういうふうにだ」

そうなのだ。
私は、生きているパパにずっと見ていてもらいたかった。
私の今後の人生を
孫たちの成長を
一緒に見て、一緒に感動して、苦しみも分かち合いたかった。
でも、それが出来ないのが、どうしょうもなく悲しいのです。

でも、もうパパはこの世界にはいなくて
オハナのように、私の人生は続くのです
食べて、笑って 苦しんで 育みながら 
生きないといけないのです。
生きるということは、なんて難しい。

「いつかみんな天国で会えるかな、それくらいではだめだろうか。
せめてそう思えるくらいには、現世がきらきらしていてもいいのではないだろうか。」

オハナのように
いつか私も思えるかしら。

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